終戦の翌年(昭和21年)初めから5ヶ月間、広島図書から依頼を受けた吉田初三郎は被爆地広島へ入り、数百名の被爆者の証言を得て以下のような原爆図を描いた。原爆投下のその日の朝の広島、投下された瞬間、そしてその日の夕刻の惨状などを彼独特の鳥瞰図で描き、被爆地広島の惨状を世界へ伝える英文情報誌として昭和24年に発刊された。国内では配布されておらず、依頼主であった広島図書(児童雑誌「銀の鈴」など発刊)も昭和28年に倒産しており、同書の現存数は極めて少ない。また、原爆投下の瞬間をこのようなカタチで描いたものは少ない。大半はきのこ雲が立ち上る図であるが、証言をもとにしたこの図のリアリズムは驚くべきものがある。
2000
年代に入り、これら図の肉筆画の一枚(表紙絵)が発見されて2005年の原爆展で初公開されているが、残りの肉筆画の行方は定かではない。また、この時の被爆地での5ヶ月におよぶ踏査取材の後、初三郎は原因不明の重病時期を永く過ごし、晩年も原爆症に似た症状があったという。被爆を覚悟でジャーナリスト的感覚で被爆の悲惨さを伝えようとした彼の心根が伝わってくる渾身の連作である。
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